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W1VX 3日坊主日記



KC5JFO Rand Nicholsのこと

 1997年の10月のある日、私の手元に1通の電子メールが届きました。差出人は、ARRL(米国無線連盟)のNX1L Mr. Akiyamaからでした。
趣旨は、KC5JFO Randが来日に際して、どこかでハムを楽しみたいが、誰かにサポートしてもらいたいとARRLに問い合わせがあったそうです。
ついては、あなた(私)が彼の行き先である群馬在住のハムだから、是非彼を助けてあげて欲しいと書いてありました。



Randと私(JF1OCQ)のシャックにて

 実は、私は過去20年近くずっとARRLのメンバーであり、細々とではありますが、いつも、いつでも、どんな時でも世界のハムの息吹を感じていたのです。
仕事の事情で長くQRTを余儀なくされていた時期でさえ、ARRLの機関誌であるQST誌は目を通しておりました。
転勤を繰り返し、出張の多い仕事をこなしながらも、気持ちだけはいつでもハムの世界に向いていたのです。
そしていつか、好きなハムを思う存分楽しめる様になれる様に、ずっと願っておりました。

 ARRLは、その前年に新しいプログラムを発表しています。
それは、International Travel Host Exchangeと呼ばれ、世界を旅するハムが、その訪問先のハムに旅行をサポートしてもらう、と云うプログラムです。
そして私は、その1番最初の募集の時に参加したメンバーの1人だったのです。
このプログラム自体の事や、現在のメンバーについてここでは詳しく述べませんが、これは現在でもARRLにとっての、ひとつの事業として継続したサービスが提供されています。
外国への旅行をその国のハムがアシストする、考えて見れば今まででもありそうなサービスですが、ARRLがこの時初めて世界規模で系統立てたと云って良いでしょう。
NX1L 秋山OMは当時の担当者でしたから、Randの希望に沿う形で私にメールを送ってくれたのだと思います。

 Randには息子さんが1人おり、その彼が群馬県内の某公立中学校のALT(語学補助教員)として勤務していたので、彼を訪ねて来日する事となった訳です。
しかしその時の私には、JAハムの数多くの方々の様には、海外ハムとの交流もなく、確かに群馬県で唯一のホストではあったけれど、実際は全く経験もなく、果たして本当に役立つのだろうか?と内心穏やかではありませんでした。

 私が事前に知らされたRandに関する情報は、住所と名前しかなく、テキサスからやって来るアメリカ人がどんな風貌であるかは、私のイマジネーションの世界でしかありませんでした。
見上げる様な大男が、テンガロンハットをかぶって現れる姿は、想像に難くなく、狭い我が家でどうやって接待をしようかと、真剣に考えたものです。
約束の日に、彼は彼のご子息(Chris)が運転する自動車で現れました。しかしそこに現れたのは、背格好は私とさほど変わらないアメリカ人でした。
それまで見上げる様な大男を想像していた私は、知的で紳士なRand当人に会ってとても良い印象を受けました。

関越自動車道の前橋インターチェンジで待ち合わせてから、我が家までの約15分間を430MHzでQSOしながら過ごしました。
我が家に到着後、私、家内、Rand、Chris、そして我が家の子供達を交えて楽しい1日を過ごす事が出来ました。

 Randは、狭くて汚い私のシャックに入り、念願のQSOを成功させました。
彼は来日前に、日米相互運用協定に従って7J1AZMと云うコールサインを得ており、このコールサインを使ってアメリカ、ヨーロッパなど数局とQSOに成功しています。

 彼のこの来日を切っ掛けに、その後も彼との交流は続き、私が渡米(デイトンハムベンション)する時は、テキサスからはるばる会いに来てくれるのです。

Randの友人のMr. & Mrs. Colman
デイトンに近い、Cincinnatiにある彼らの家で

Colman宅で初めてのアメリカからのオペレーション
リグはTentec製、Randは私にアメリカからの運用をさせようと、わざわざテキサスからリグやアンテナ一式をColman宅まで持ち込んでいた。


彼は私にとって、最も重要な外国のハム友達の1人です。

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