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Midway 環礁 運用記 2001年 4月



あぁ...また行きたくなった!

私の普段の仕事は(闇の仕事はナイショです)、ネットワークシステムの構築と保守です。
昨今、人様からは、トレンドの仕事でうらやましい...などとおだてられてはいるけれど、実体はハードな肉体労働者です。明けても暮れても、コンピューターやCiscoなんて会社のネットワーク機器のお世話ばかりをしています。
特に、お得意さんの官公庁では、予算執行が年度末に多い事から、毎年暮れから3月末までは大変な忙しさです。
今日はこっち、明日はあっち....ヘルメットかぶって工事現場をうろうろしちれば、誰もコンピューター屋サンとは呼んでくれません。
「あ゛〜...もぉーこんな生活いやだぁ〜」
そんな寒い寒い現場で、着ぶくれて体の自由を失うと、決まって思い出すのは南の島の事....
短パン、Tシャツ、サンダル履きで、日がな一日ビール三昧の暮らしが頭の中を駆けめぐります。
「う〜....この仕事が終わったら、南の島へゼッタイ行ってやるぅ」



やっぱりココしかないでしょう!!

こことは、もちろん「KH4:ミッドウェイ」の事です。
先回のミッドウェイでは、滞在期間が短かった事から思ったほど沢山のQSOができませんでした。JE1RXJ後藤さんと交互に運用しても、結局はどんなに頑張ってもサービスできる数には自ずと限界がありました。
期待をしていた50MHzのオープンにも恵まれませんでした。
それに、先回はアホウドリの姿を見る事もなかったし、いろいろな意味で、もう1度は行っておきたい場所だったのです。

 

さて、電話するか!

すべてはここからスタートですからね。
今回も、迷わず「ミッドウェイアイランドジャパンオフィス」の川波さんに相談しました。
「あの〜お久しぶりです。前橋の三宅ですぅ〜」
.....
今回は1人旅ですから、自分の勝手気ままで行くつもりでした。
昨年の時とは異なり、ハワイからミッドウェイの往復航空券(アロハ航空)と、現地の滞在関係の諸手続は川波さんにお願いして、成田からハワイの往復航空券は、知り合いの旅行代理店からを購入する事に致しました。
と云うのも、あちこち行っている間に、いつの間にか結構マイレージと云うのが貯まるもので、気が付いたらアメリカ往復航空券をいただける位になっていたのです。
そこで、今回はそのマイレージを使って座席をビジネスクラスへアップグレードをしてみようと考えたのです。
それで馴染みの代理店に頼むことにしたのです。

もともと「ミッドウェイアイランドジャパンオフィス」は、ダイビングや釣りのお客さんが中心で、アマチュア無線に関してはほとんど知識がないとの事でしたが、川波さんや社長の山崎さんは私の話を大変良く聞いて下さって、終始親切なご対応をいただきました。
基本的な見積や、手配の関係を川波さんにお願いをしてからすぐに、今度はミッドウェイでお仕事をされている、田畑政己さんにメールを出しました。
昨年の渡航時にも、彼にはずいぶんお世話になりましたので、その後の現地の様子の確認とご挨拶を兼ねて送った訳です。
彼は、現地で自然保護の活動を行うと共に、日本人の渡航者を手助けするお仕事をされています。
私以外にも、ミッドウェイへ渡られた日本人で、彼のお世話になった方も少なくないと思います。
そんな彼からのご返事には、私の渡航時期はちょうど彼が日本に帰国する時期に重なるという事で、残念ながら会えないと云う内容が書かれておりました。
今回は旧交を温めるだけでなく、私の現地滞在期間が1週間あるので、無線以外のもう1つの趣味である、釣り(ルアーフィッシング)を楽しもうと思っていた矢先でしたので、彼との行き違いは残念でした。
しかし彼は、予めお尋ねした私の釣りについての質問には、充分過ぎる答えを返してくれましたので、渡航前の準備などで遺漏もなく、間違いのない準備ができて満足しました。
これから渡航をお考えの方々は、是非とも彼と連絡を取られる事をお奨めします。

それでも行くぞ!

もう10年位前になるでしょうか、一時マーフィーの法則を云うのがはやった時期がありました。
これは、主に私の従事している業界を茶化した(?)様な話なのですが、ご存じでしょうか?
今回のミッドウェイの渡航に際しては、仕事の配分と、もちろんコンディションの良いと思われる時期を勘案してスケジュール立てを行ったのですが、その仕事がどうもまずい状態になって来たのです。
私の仕事は、主に官公庁・大学関連が多いので、例年ですと新年度早々の4月は暇な時期で、少しまとまった休暇を取るには1年で最も適した時期なのですが、どうした事か今年に限っては4月に入ってからも仕事が片づかずに、ズルズルと押して来てしまったのです。
まさにマーフィーの法則を地で行く様な事態に、大慌てで連日の残業を開始したのです。
現地の予約も航空券の手配もすべて済んでいるのに、今更飛べないなんて冗談じゃないぞぉ〜って感じです(笑)
そもそも、昨年の渡航の時には、JE1RXJ後藤さんが50MHzのサービスの準備をして、何とか少しでもJAとQSOが出来れば、と期待をかけたのですが、残念ながらコンディションは思うようにならなかったのです。
これは、何とかサンスポットサイクルの高い今のうちに再度のトライをしなくては収まらないと、計画したのがこの4月だったのです。
いろいろな意味で、この時期をはずすと厳しくなるので、やはり頑張って(無理をしても)ここで行くしかないのです!
これが、最後の結論だし、連日の半徹夜状態を耐えて来られた源はここにあったのです。

準備はできた!

ミッドウェイについては、このホームページでもご紹介していますように、生活物資の輸送を優先するが故に、旅行者の荷物量はある程度の制限を受けます。
もちろん、旅行者の必需品をまるで無視する訳ではなく、合理的に必要なものを整理して欲しい、と云う意味だと私は理解しています。
どうしても必要な荷物があるとすれば、それは事前に申請する事で受け入れてもらえる余地はありますので、過度に心配する必要はありません。
しかし、原則的に超過料金がかかったりしますので、できれば規定の量に納める努力はするべきでしょう。
今回の私の荷物は、無線関連の他に「ノートパソコン」、「釣り竿」と「その道具」がサイズ、重さ共に増える事になります。
加えて、50MHz専用機としてFT-100を持って行く事にしたので、予定の重さを軽く越えてしまう事が予想されました。
着替えを減らし、機内持込荷物にごまかし(笑)ても、いかんとも重量は減らせません。
仕方なく、川波さん経由でアロハ航空に申請をして許可をもらう事にしたのです。事前の話では、申請しても必ずしもOKが出る訳ではないし、超過料金についてもいくらになるかは分からない、との事でした。
1週間ほど経って、川波さんから超過荷物受け入れの許可が取れた、と連絡をいただきました。
実際のチャージは不明ですが、まぁ、許可は出た訳だし、悩んでも仕方ないと言い聞かせました。

さぁ、準備はできた!あとは行くだけだ!

あぁ!やっぱりすんなり出かけられないのだ

直前まで荷物の量で悩んでいたので、実は成田空港までの足を決めかねていました。
いつもは、前橋駅発のリムジンバスを使うのですが、バスに載せてくれる預け荷物は1人1個までと決められているので、最終荷物が分かるまでは予約ができなかったのです。
おまけに、出発直前まで客先へ出張していて、自宅に帰ってきたのが出発当日の深夜早朝と云う始末ですから最低の状態でした。
何とか荷物をまとめ上げ、トランク1個に押し込めたので、成田へはバスで行く事にしたのです。
ところが!です。
リムジンバスは、前日までに予約が必要と云うのを知ってはいましたが、当日予約でも何とかなるだろうと、安易に考えていたら、とんでもない事になりました。
バス会社に電話をしたら(出発の3時間前)、余席があっても、予約手続き上当日の乗車はできないと云うのです。
えええっ!?何て事でしょう!
仕方ない...車で行くことにして、成田空港近くのパーキングに予約の電話を入れたのでした。
そうと決まれば、ゆっくり昼食を食べてから出発しようとしていたら、携帯電話が鳴り出した......
こういう時の電話って、絶対良いことじゃないんだよなぁ....
「もしもし...三宅さんですか?...△△△のサーバーがダウンしました....」
もー知らないっつーの!
あぁ...やっぱりタダでは出かけさせてくれないのね!

後は野となれ山となれ

なだめても透かしてもダメだよ!何と云われても私は成田へ行くのです(笑)
後はヨロシク」と電話を切って、そそくさと出発!...
あぁ、今回はどんな旅になるでしょうか?
海外旅行に出かける時は、いつでも心が躍ります(例え障害発生の事態を承知していても!)
車は一路、関越自動車道、外環道、京葉道路、東関東自動車道を通って成田空港へ。
今回は1人ですから、気ままな旅と思っていたら、日頃の睡眠不足が祟ったのか、東関東自動車道に入ったあたりで猛烈な睡魔に襲われました。
時間は16時、フライトは20時だから、ここで1時間くらい休んでも大丈夫と思い、パーキングに入って一眠り。
サイドブレーキを引くと同時に、意識が飛んで爆睡状態...いい気持ち!
ふっと気が付くと、横になってからちょうど1時間、さっきまでのたれ込めた睡魔は飛び去って、気分もすこぶる良くなりました。
予定通りに、成田ICを降りて全日空ホテルそばのパーキングに車を預けていよいよ空港へ!
ワクワクドキドキ、また旅が始まりました。

うぅ...眠い

成田からの飛行機で、隣り合わせたご婦人は、チョモロ系のアメリカ人で、ハワイの大学に通っている息子さんに会いに行くとのこと。
かなりご立派(?)な体格で、お相撲さんが飛行機に乗るとこんな感じかな?と想像してしまうような大きな体でした。
初めは、私に気を遣って「狭いでしょ?」などと話しかけてくれたのですが、少し話しているうちに、彼女の勢いはどんどん増して、ついにはハワイまでの約7時間をずっとしゃべり通しで過ごしました。
これには、さすがの私も閉口しましたよ!
何せ、出発までの1週間ほどは慢性的な睡眠不足だし、昨日は昨日で朝帰りですから、やっぱり眠いのです。
そんな事はお構いなしの、そのご婦人は矢継ぎ早に「何処へ行くの?」、「あら?ミッドウェイってどこにあるの?」、「あなたお子さんは?」「お仕事なぁに?」などとまくし立てます。
こちらはやっとエイゴをしゃべっている状態なのに、いやぁ〜これには参りました。
早く、この嵐の様な時間が過ぎ去る事を願うのみでした。

ハワイ

やっとの思いでたどり着いたハワイ。
くだんのご婦人とは入国審査のところでお別れ...別れた直後には、知らないうちに本当に本当に大きな溜め息が出ました。
「あぁ...実に疲れた...」

周りを見渡すと、輝くような南国の早朝、まぶしい光の中に目を覚まし始めたばかりの空港がありました。
ところで、いつも思うのですが、ハワイやアメリカ本土の入国審査官は皆さん厳しい目つきをしていますよね
やっぱり「悪い人」が入ってくるのだろうか....
入国カードに、「Transit to MIDWAY」と書いておいたら(当然ですが)、「ミッドウェイへ行く目的は?」と訊かれました。
もちろん「Fishing!」と答えました。
かつての経験から、「アマチュア無線」と答えると、更にその背景までもを説明しなければならない事になるので、できるなら無線の事には触れたくなかったのです。
私としては、釣りも今回の目的の1つですから、虚偽の申告をしたつもりはありませんでした。
だって、あなたは「何故、ミッドウェイに行って無線をするのですか?」と尋ねられて、即座に審査官を納得させられる説明ができますか?(笑)
私にはそれだけの会話能力がなかったのです。

無事に入国審査を通ってから、今度は税関検査場へ進みます。
「あなたのこの荷物は何が入っていますか?」
「その長いものは何ですか?」
やっぱり訊かれました....
「はい、GT釣り用の竿です」
「お!〜そうですか、ところでどこで釣るのです?」
ほら来たぞ!
「私は、今夜のフライトでミッドウェイに行きます。ミッドウェイは、GTの世界記録が出ていて、私はそれを釣るためにわざわざ日本から出かけて来ました」
「そうですか!私も釣りをします。ミッドウェイは本当に大物が釣れます。是非とも良い釣りを!楽しんで下さい」
税関のオジサンは、そう云って私の手から申告書を取り上げると、ニコっと笑って通してくれました。
無事に入国、後は出発までの8時間をどうやって過ごすかを決めればOKです。

爆睡

ハワイに着くまでは、荷物をコインロッカーに預けてから、パールハーバーや潜水艦博物館へ行くつもりにしていたのですが、飛行機の中で一睡もできなかった事と時差ボケが既に出ていて、体がだるくて仕方なかったのです。これでは今後に響くと思い、予定を変更してホテルで休む事にしました。
この時は、現地朝8時を回ったところですから、これから6時間は眠る事が出来るので、税関を出た後にカートを押してそのまま空港内のホテルに向かいました。
ご存じの方も多いかも知れませんが、ホノルル空港の出発ロビー(ノースウェスト航空カウンター)の脇から、セキュリティを通って中に入ると、ミニホテル(こう云う名前です)があります。
ちょうど航空博物館の並びですし、搭乗ゲートの12と13の前になります。
もし分からなければ、空港関係者の誰に尋ねても教えてくれるはずです。
私は、ミッドウェイからの帰りの日の宿泊をこのホテルに予約を入れておいたので、到着したその日の休憩もこのホテルに決めたのです。
もちろん、ホノルル空港の周りには沢山のホテルがあるのですが、何と云っても空港内で、荷物をカートで押しながら行けるのが大変に気に入っています。
詳細は、別稿で御説明しますのでそちらをご覧いただく事にして、簡単にお話しておきます。
使用する時間で料金は異なりますが、基本的には1泊$38です。
2畳くらいの広さにベッドがあり、シャワーとトイレがついた個室です。
24時間オープンしていますので、いつでも利用する事ができます。
但し、日本語は通じません。

「部屋空いてますか?」
「はい」
「午後3時頃まで休憩したいのですが」
「どうぞ、$38です」
「ありがとう、ところで来週の土曜日の夜に私の予約は入っていますか?確認したいのですが」
この時、フロントのおばさんが紙に何か書いているので、何となく話題として訊いてみただけで、特にリコンファームの意味はなかったのです。しかし、答えは意外なものでした。
「いいえ、Mr.ミヤケ、あなたの予約はありません」
「そんな筈はない、良く調べて下さい」
「残念ですが、あなたの予約が入っていないのは確かです。何故なら、予約台帳はこれひとつですから、ここにあなたの名前がなければ予約はないのです」
私は、日本から予約を入れた事、そしてその予約確認書を持っている事を伝え、カバンの中からそれを出しました。
結論としては、ミッドウェイアイランドジャパンオフィスが予約を入れた時に、ミッドウェイからのフライトの到着時間が、日付をまたぐ事を失念したために1日ずれて予約されていた事が判明しました。
この時、特別な気持ちで尋ねたのではないのですが、結果的には私にとって非常にラッキーでした。
もし、この日ここで予約確認をしておかなかったら、私は帰国日に泊まる場所もなく(しかも前日分を無断キャンセルと云う事で、料金だけは自動的に課金された)、空港内をうろうろしていた事でしょう。
この事は、最後で詳しくお話します。

日本を出発して以来、おしゃべりなおばさんにつき合わされて寝る事もできずに来たため、非常に疲れていました。
シャワーを浴びて、ベッドに横になったと同時に、私の意識は飛んでしまいました。

いざ!ミッドウェイへ!

目覚ましのベルと共に、ベッドから飛び起きました。
さっきまでの不快な感じが一掃されてはいませんが、でもずいぶん楽な感じになって来ました。
午後3時を過ぎて、そろそろアロハ航空のカウンターに移動する頃になりました。
もう一度シャワーを浴びて、着替えをしてホテルを後にしました。
フロントのおばさんには「私を忘れないでね!」と云って手を振ったら、おばさんに大受けしました。
アロハ航空のカウンターは、ホノルル空港のはずれにあり、ミニホテルからはちょうど反対方向になります。
カートをガラガラ押しながら、空港内を歩いていると、沢山の日本人、それも修学旅行とおぼしき高校生の一団に多数出くわしました。
空港内はまるで日本人に占領されたかのような風情であります。
しかし、アロハ航空のターミナルに着くと、一転して日本人の姿を見かける事はありません。
ハワイ諸島を結ぶ定期路線を飛ばしているアロハ航空には、当然日本人がいても不思議ではないのですが、とうとう見かける事はありませんでした。

ミッドウェイへは、一旦出国扱いになります。
ですから、搭乗手続きをするカウンターも、国内カウンターではできません。
もちろん案内がありますが、ミッドウェイ専用のカウンターで手続きをする事になります。
機内預けの荷物には、奇妙な事に3桁の番号を書いた札が取り付けられます。実は、これはミッドウェイでの宿泊先に対応した、部屋番号なのです。
通常の空港の様に、到着時に自分の荷物を自分でピックアップするのではなく、ミッドウェイでは荷物は飛行機から直接指定の部屋まで運んでもらえる事になっています。
そのための番号札になります。
余談ですが、ホノルル空港で搭乗手続きを手伝ってくれて、搭乗者名簿と照合したり荷物にタグを付けてくれるのは、皆ミッドウェイフェニックス社の社員の方で、アロハ航空の職員ではないと云う事でした。
(カウンター内はアロハの職員)
搭乗手続きが終われば、あとは出発までロビーで過ごす事になります。
ほっと一息ついて考えてみたら、朝から何も食べていない事に気が付きました。
もともと乗り物に強くない私は、機内食はあまり食べられないのです。
ハワイまでは、持参したスナックとビールを少し飲んだだけで、これといっておなかにたまるものを取っていなかったので、さすがに空腹を感じていました。
ミッドウェイまでの機内では、ハンバーガーかサンドウィッチのサービスがあるのを知っていたので、今ここで沢山食べずにおくことにしました。
アロハ航空のタワーでは、中華料理のファーストフードショップもあって、チャーハン、焼きそばなどを食べられます。

チェックインの時に見た限りでは、やはり日本人は私1人だけの様でした。
そうこうしている内に、搭乗開始のアナウンスが入って、やっと飛び立つ時間がやって来た様です。
日本を離れて1日以上、距離的には非常に近いけれど、本当に遠いミッドウェイへの最後のフライトになります。
肩には、TS-690SATとスイッチング電源の入ったカバンを提げ、むせかえる様なホノルル空港の滑走路を歩き出しました。

再び!ミッドウェイへ!

飛行機の中は、屈強なアメリカ人が多数乗り合わせていました。
見た限りでは軍人ですが、私の知る限りミッドウェイに軍人が大挙してやってくる理由が見つかりませんでした。
この事は後で判明しますが、ビールを飲みながら大声でわめき立てる男たちに、ちょっと気分を損ねていました。
もっとも、ご年輩のご婦人方とも和気あいあいお話していましたので、特別下品な話をしていたのではないと思いますが、とにかく早い英語が聞き取れず、内容はちんぷんかんぷんでした。
約3時間のフライトののち、無事にミッドウェイ・サンド島に着陸しました。
タラップを降りると、雨が降っていて、大変な湿気に面食らいましたが、真っ暗な滑走路を、こうこうと明かりの点く格納庫を目指して歩き出しました。
ミッドウェイでは、来島者はまずバスに乗せられて、ゆっくりと空港の周りを回りながら宿舎へ向かう事になっています。
明日のオリエンテーションの前に、最低限の施設の情報を伝える事を目的としている様です。
前回は、NH6D Billが在島していたので、到着直後から運用が出来たのですが、今回はそういう訳にもいかず、私はあちらこちらのスタッフを捕まえては、通信責任者のMikeの居所を探し続けました。

運用開始!

宿舎からシャックのある格納庫までは約400m、一旦宿舎に運び込まれた荷物をほどき、無線用の機材はすべて格納庫に運ばなければなりません。
私の足は、前回同様自転車だけ、それも荷台のついていないものですから、大きなトランクを運ぶ事はできません。
仕方がないので、何度かに分けて運び込みましたが、雨が降る真っ暗な島の中を自転車で進むのは大変な作業でした。
しかし、日本で待っているだろう仲間たちに、何とか一声かけたくて、必死の思いでペダルをこぎ続けました。
現地時間4月14日(土)の22時過ぎ、持参したリグのセッティングをしながら21.260MHzを聞いていたところ、突然「あっあ〜」と聞き覚えのある声が聞こえて来ました。
まるで見ていたかのような、グッドタイミング!
セッティングの手を休めて声をかけました。
「JA0QBY、こちらはW1VX/KH4どうぞ!」
同じクラブに所属する友人の西原さん(Also T88TN / KZ5C)が、そろそろ聞こえる頃だと、ワッチしていてくれたのです。
時に、2001年4月15日0905Z、私の2回目のKH4ペディションが始まりました。

最初の運用は、21MHzのSSBからスタートしました。
しかし同時に設置した、50MHzのビーコン装置にはすぐに反応があって、V73ATやVK4BLKとQSOに成功しています。
そして、1130Zからは7MHzのCWでの運用を開始しました。
前回同様、JAの信号が極めて強く、まるで国内QSOを行っているような錯覚を覚える位です。
沢山のJAに混じって、北米からも猛烈なパイルアップを受ける事になりました。
結局、現地時間の朝0300まで運用して、宿舎に引き上げました。
パイルアップが収まった訳ではないのですが、少し休む必要があったからです。
何故ならば、この翌日の朝、来島者全員に課せられたオリエンテーションの受講が控えていたからです。

4月15日

目覚ましがなって、眠い目をこすりながら起きあがったら、時計は0730を過ぎていました。
窓の外を見て驚いた事が2つありました。
まず、窓の外一面に鳥、鳥、鳥.....すべてが鳥だらけなのです。
昨夜、ミッドウェイに到着してから無数の鳥に気付いてはいましたが、明るい中で見ると、その数のとてつもない事に気が付きます。
芝生と云わず、道と云わず、ありとあらゆるところにその鳥と真っ黒い産毛に覆われた雛がいるではないですか!
これは、すべてコアホウドリでした。(島全体で約70万羽)



そして、もう1つは、雨です。
昨夜から降り続いた雨は、夜が明けても止んではいなかったのです。
今回は、重量を減らすために、雨具をすべておいて来ていた私は、土砂降りの雨の中を、オリエンテーション受講のために、雨具なしで出かけて行かなくてはならなくなりました。
その会場は、島の中央部にある映画館でした。
多分、昨日の飛行機で来た人数が多かったので(50名くらい)、ビジターセンターでのオリエンテーション開催ができなかったためと思われます。
途中、アメリカ人の女性から声をかけられて、一緒に映画館まで来ました。
彼女は道が分からず困っていたところに私が来たので、助かったと云っていました。
映画館の中には、昨日の軍人とおぼしき人たちと、野戦服を着た指揮官らしい人が前の方に立っていました。
私は、英語が大の苦手で、聞くのも話すのも本当に不自由してしまうのですから、オリエンテーション会場での説明には、本当に困ります。
ただ、いろいろ聞いていると、彼ら軍人はミッドウェイ(サンド島)に座礁している難破船から、PCBなどの有害物質が流れ出していて、環境に悪影響を与えているため、その難破船を撤去するために派遣されて来たらしい事が分かりました。

約2時間のオリエンテーションを終えて外に出たら、雨は益々激しくなって来て、私が自転車を飛ばして部屋に帰った時は、全身ずぶ濡れの状態で、寒くて震えが止まらないほどでした。
着替えも最小限しか持って来ていないし、この天気では洗濯もままならない状況から、果たしてどうしたものか考えてしまいました。
熱いシャワーを浴びて、昼食まで仮眠を取る事にしました。

正午少し前に起きあがって窓の外を見ると、さっきよりは小降りになってはいるものの、雨は一向に上がる気配もなく、低い雲がたれ込めているだけでした。
朝も食べていないので、雨が降りしきる中を、島の中心部にあるギャリーまで食事をしに出かけて行きました

ここは大きなレストランで、好きなものを好きなだけ自由に食べられる場所です。
西南アジア系と思われる人たちの作る食事は、エスニックで素晴らしい味付けです。日替わりのカレーとライスはとても美味しくて、我々日本人も充分楽しめるものです。
その他にアメリカ式のすべての食事ができるようになっていて、牛乳、ソフトクリーム、新鮮な野菜サラダなど、一瞬自分の居場所を忘れさせてしまうような贅沢な食事が提供されます。

午後になっても雨の上がる気配ななく、仕方なく再び濡れながら宿舎に帰りシャワーを浴びて仮眠を取りました。

夕方、格納庫のシャックに行き7MHzCWでサービスを始めました。
昨日に続いて、大きなパイルアップになって、次から次からコールされます。
この間も、JAに向けた50MHzのアンテナからはビーコンを出し続けていました。
この日の深夜、突然通信当直のBillがやってきて(NH6Dではない)、「ヒロユキ、まさか12MHz帯で電波を出してないよな?」と云い始めるので、何の事やら訳分からず、よくよく聞いてみると、島の主通信に妨害が入っていると云うのです。
もちろん、この島で唯一電波を出しているのは私だけですから、彼が私の所に来るのは当然の事なのです。
手を引かれる様に通信室に行ってみると、受信機からは確かにモールスが聞こえて来る、しかもそれは紛れもなく「W1VX/KH4」と打っているのです。
そう、50MHzのビーコンがインターフェアを出していたのです。
私は、その場で「停波するから」と約束して、万一他でも妨害を与える事があれば教えて欲しいと云って引き上げてきました。
「あ〜何て事だ!苦労して持ってきたのに、これじゃ電波が出せない!」正直に云って、がっかりしました。
この日は、トータル約550QSOに成功しました。

4月16日

朝になっても雨は上がらず、湿気も凄い。
着替えが乏しいので洗濯をするが、日に当てる事ができないため生乾きで困ってしまいました。
この日も終日、シャックからハイバンドを中心としたサービスに終始しました。
ミッドウェイに来る前は、ヨーロッパからのサービスリクエストが寄せられており、何とか少しでも多くのヨーロッパを拾うように気を遣っているのだが、全体に信号が弱く、また指定無視が多いので局数が伸びないのが悩みのタネでした。
ところで、この日以降、我がローカルのJE1SYN池田さんとJP1IOF小林さんが、私のアシストをしてくれて、非常に助かりました。
特にローバンドのオペレーションに不慣れな私を気遣って下さって、大変助かりました。
お二人とも運用の最後まで、いろいろな情報を流して下さり、有形無形のサポートをしてくれました。
この日は、トータル約650QSOに成功しました。

4月17日

朝から小雨。
今回のミッドウェイでは、無線は云うまでもなく、手つかずの海での釣りを楽しみにしておりました。
ローカルのJI1NIQ野原さんにルアーを用意してもらって、それをわざわざ運んで来たのですから、何とかトライしたいと思いながらも、天候に阻まれて思うに任せません。
ミッドウェイは、緯度としては奄美大島とほぼ同じ位置になりますが、4月のこの時期の雨は冷たく、とても濡れながら釣りをするような状態ではありませんでした。(4月のミッドウェイは、統計上ほとんど雨が降らないはずだった)
無線の方も、ハイバンドのコンディションがいまひとつパッとしなくて、特にヨーロッパ方面が芳しくありません。
時間帯やバンドによって、短時間だけ良いタイミングもあるのですが、それ自体が長続きしないために、なかなか沢山の局にサービスする事ができませんでした。
それにしても、ヨーロッパの局はつぶし合って自滅して行きます。
何でかなぁ?....
本日のQSOは、全部で約400局でした。

4月18日

朝起きたら、薄日が差しているので思わず窓を開けました。
本当にしばらくぶりの太陽に、感激しました。
朝、スタッフの話では天気が回復したので、これからイースタン島のツアーを行うから参加してみたら?と云われました。
前回は、時期的に見られなかったアホウドリが1羽イースタン島にいると云うので、このツアーに参加する事にしました。
イースタン島とは、同じ環礁内にある3つの島の内のひとつで、終戦まではここに飛行場がありました。
現在は、朽ちるままに任せてありますが、確かに滑走路があっって、飛行機の掩体壕だったとおぼしき土累も残っています。
無数の鳥の楽園となったこの島は、レインジャーと同伴でのみ渡る事が許される島で、もしミッドウェイに行かれるチャンスがあれば、是非ともツアーに参加される事をお奨めします。(無料)
私は、QSLカードに使う写真を撮るために、この島へ渡りました。

この天気が明日まで続いたら、通信担当責任者のMikeに50MHzの試験電波の発射許可をもらえる様に頼んでみようと考えていました。
突然のインターフェアの原因もわからないまま停波状態になっている50MHzを何とかしたいと思っていたからです。
以前も、そして到着したその日も50MHzはインターフェアを起こさずに使えていたのに、突然妨害を発生する理由は、雨ではないかと想像していたのです。
ならば、晴れが2日続いたら試しに電波を出してみて、インターフェアの有無を確かめたかったのです。
何の根拠らしい根拠もなかったのですが....
この日もハイバンドはパッとせず、反対に3.5/3.7MHzが非常に調子が良く、沢山の方々とQSOに成功しました。
この日は、約600QSOに成功しました。


晴れた日に、宿舎前にいるコアホウドリの親子

4月19日

朝から太陽が照りつけ、暑い日になりました。
この天気が今日一日持って、明日も朝から晴れたらMikeのところにお願いに行こうと決めました。
この日は、島の中を自転車で回って、写真撮影をして来ました。
途中、アメリカ海兵隊が行っている難破船の撤去作業も少しの間見る事ができました。
年代は不明ですが、相当な年月が経っている事だけは確かな船の残骸が、赤さびに覆われた姿を見せていました。
この難破船がある海岸一帯(South Beach)は、ハワイアンモンクシール(アザラシ)のための保護地域にあたり、我々人間(観光客)は立ち止まる事すら許されない場所なのです。
この日のQSO数は、約700でした。

4月20日

早いもので、ミッドウェイにいられるのもあと1日になりました。
数日前の天気とはうって変わって、快晴の朝を迎えました。
日本時間の土曜日、おまけにメリッシュリーフのオンエアがアナウンスされていましたので、絶対に多数のJAが耳をそばだてているはずです。
今日こそ、もう1度50MHzに挑戦する最後のチャンスだ!

通信室にはちょうどMikeがいて、先日のインターフェアの後、停波していた50MHzの試験電波を発射したいと申し入れました。
Mikeはちょっと考えてから、それでもOKを出してくれました。
万一、再びインターフェアが出るようならば、即座に停止するから障害があったらすぐに連絡してくれ、とお願いしました。
シャックに戻り、FT-100全力の100Wで試験電波を出し始めました。
5分たってもMikeからは連絡がない。
「やった!OKだ!」
「これで行ける!まだチャンスはある!」
来島の翌日に停波した50MHzのビーコンは、再び発射可能となりました。

0400Z頃、突然複数のVKが、そのビーコンに応答してきました。
その時私は、HFを運用中でしたが、即座に「6m Now Open!」とアナウンスして、50MHzへのオペレーションに切り替えました。
VKのパケットクラスターにでも流れたのか、次々とコールされ、後半はSSBに切り替えたりしながら、合計30局とのQSOに成功しました。
彼らの話では、JAが良く聞こえている、ヨーロッパともQSO出来ているなど、こちらがびっくりする様な、その日の50MHzの情報を提供してくれました。
そして彼らは、QSOの最後に必ず「Thank you for new one」とか「Congratulations!」と云ってくれました。

時はまさに0500Z。
VKの信号が途絶えて小1時間、猛烈なQSBの谷間に誰かが打つモールスが聞こえた気がしました。
当局のビーコンは、JH6RDJが作ってくれたエレキーを、間隔3秒で連続送信する設定にしてあったので、その送信を停止しなければならないです。
先ほどと同じに、HFの運用を中断して聞き耳を立てると、「...J...7...WS...」と聞こえる、ついに来た!ついに来た!ミッドウェイと日本が6mでつながった瞬間です。
「QRZ..QRZ..DE W1VX/KH4..W1VX/KH4..QRZ??」、「DE JA7WSZ..JA7WSZ..」かつて経験した事のない様な深いQSBの中を、その電波はやって来ました。
やった!やった!やった!
レポート交換に多分、1分を費やしていたと思います。
エレキーの速度を90文字程度まで下げて、ゆっくりと何度もレポート送りました。
やった! やった! やった!
その後は、すぐにパイルアップになりました。
聞こえる!聞こえる! JAが聞こえる!
親交はないけど、6mのそうそうたるメンバーが順繰りにコールしてくるではないですか!
しかし、深いQSBのため、こちらのコールバックが取れない局が続出して、本当にもどかしい思いをしました。
彼らはみな、大型アンテナを振り回している人達ばかりです。
なのに、こちらは非力な100Wと低利得のアンテナで、彼我のゲイン差はERPで20db近くあったはずです。
あぁ!この時ほどパワーが欲しいと思った事はありません。
最低300W...いやせめて200W...あと3db上げてやれたら....
あのスーパーステーションたちですら、こちらの信号を取るのに大変に苦労している...申し訳ない...申し訳ない...1局取るのに長くて2分を費やしてしまい、貴重なオープンの時間を無駄にしたのは大変残念ですが、これも仕方のない事なのです。
それでもQSBの山に乗った局は、ほんの10秒でレポート交換が終わっていますので、全体としては何とかこなせた方だと思っています。
もちろん、決して満足はしていませんが、80局のJAと30局のVKステーションに”New One”をサービスできた事は、当局にとっても無上の光栄です。
文字通り、スピーカーに耳を押しつけるようにして、ノイズと消え入る様なモールスとの格闘1時間弱...QSBの彼方にすべての信号が沈んでしまった時、大きな大きな、本当に大きな満足感に体中の力が抜ける思いでした。

その晩、7MHzだったかで何人もの6m交信者からお礼のコールとねぎらいのメッセージをいただきました。
特に、先回のKH4ペディションでペアを組んだJE1RXJ(NB6A)後藤さんには、今回のペディに際して、50MHz全般について本当に貴重なアドバイスをいただいて来ましたので、彼の声を聞けた時は感激しました。
そして、QSOできなかった人たちからの、明日にかける期待のお声がけもいただきました。

4月21日

とうとう帰る日がやって来ました。
連日、各バンドでお相手いただいた方々からは、昨日の50MHzのオープンについていろいろなお話を伺いました。
日本は日曜日の朝、昨日以上に期待して待っている6mマンの意気込みをひしひしと感じていました。
こちらは少しでも多くの方とQSOを成功させるため、朝の早いうちに宿舎から荷物を移動させておきました。
シャックのある格納庫に出発ロビーがあるので、準備さえ出来ていればぎりぎりまで運用を行える事が分かっていました。
50MHzの装置を最後の最後、機内預けの最終まで稼働させる事にして、朝から全力でサービスを行っていました。
朝も昼も食事をせずに、持てる最大の能力でサービスを行いました。
HFを運用しながら、昨日のような50MHzのオープンを待ちましたが、残念ながら希望はかないませんでした。
50MHzの撤収を行い、機内預けの荷物を持って行かなければならない時間に、50MHzでハワイのビーコンが聞こえると知らされました。
残念ですが、でももう帰らなければならない時間になってしまったのです。
持参したすべてのものをチェックインして、シャックに元々あった機械で出発ぎりぎりまでサービスを行いました。
本当にこれが最後、ありがとう、さようなら....4月22日 0700ZをもってQRTしました。
総QSO数、5300余。
皆さん、本当にありがとう。

ハワイへ

在島の間に仲良くなった人たちに見送られて機上の人となったのは、もう出発すると云うぎりぎりの時間でした。
ちょうどタラップのところで、通信責任者のMike Daakがいて、私の顔を見るなり話しかけて来ました。
「ヒロユキ、一体何局と交信できたんだい?」
「正確じゃないけど、5000局は越えていると思う」と答えたら、彼は破顔一笑、「おめでとう!」とウインクしてくれました。
真っ暗な闇の中、飛行機はあっと云う間に離陸して、一路ホノルルを目指して飛び立ちました。
私は、機内に持ち込んだ荷物に埋もれて、あっと云う間に意識をなくしてしまいました。
次に気が付いたのは、ホノルルに向けて、まさに着陸態勢に入って降下中の時で、何の機内サービスも受けずに寝ていた事になります。
真っ暗な中に、宝石の様に光り輝くホノルルの明かりを見た時、ミッドウェイの悲しい位にわずかな光を思い出して、何だかほろずっぱい気分になりました。
慌てて入国のための書類を書き殴り、まだ書き終わらないうちに飛行機は轟音とともに着陸して、長いタクシーの後、ターミナルに到着しました。

入国

ミッドウェイからは、再入国扱いとなります。
当然、入国票と税関申告票を記入する必要がありますが、これはすべて英語で書かれており、またアロハのアテンダントも日本語の話せる人はおりませんので、英語に自信のない方は日本からハワイに来る時にそれぞれの用紙を余分にもらっておいて、自ら記入例を作っておくと良いでしょう。
ミッドウェイからの入国は、日本からの入国よりも審査が緩い様な気がしますが、気のせいでしょうか?
入国後、再びカートに荷物を乗せて、来る時に泊まったミニホテルへ向かいます。
さすがに深夜の到着と云う事もあって、ホノルル空港内も閑散としています。
私は入国が早かったのと、空港内に慣れていたので、同じミッドウェイからの到着者の中でも1番早いチェックインでした。
ミッドウェイで見知った顔が、続々とミニホテルに現れて、一時は「あらまぁ!」「やあやあ!」って感じでにぎやかになりました。
しかし、その内の何人かは予約を入れていなかったために、宿泊を断られる事態が発生していた様です。
フロントのおばさんの話だと、ミッドウェイからの便は深夜に到着するので、予め予約を入れてもらわないと、日によっては空きがなくて泊めてあげられない事がある、との事でした。
もし、日本からハワイに到着した日に、私がミニホテルで休憩を取らなかったら、この日の私はベッドの上で寝る事が出来なかったかも知れません。
どうぞ、これからミッドウェイに行かれる方は、予め必ず宿泊先を確保するようにして下さい。

最後に

ミッドウェイは、日本から東へ約4000kmの太平洋上にあって、ハワイよりもずっと日本に近いところにある島です。
しかし、実際にはハワイまで行って戻る格好でしか行く事ができません。
おまけに、ミッドウェイへのフライトは原則として週に1往復のみ、更に日本からのフライトとの接続が決して良くはありません。
近くて、そして遠い島ですが、他のリゾートには存在しない素晴らしさがあります。
もし、チャンスがあれば、皆さんも是非行かれてみると良いと思います。
最後に、全期間を通じてお世話になったJE1SYN池田さん、JP1IOF小林さん、JE1RXJ後藤さん、JA0QBY西原さんに改めて御礼を申し上げます。

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