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Midway 環礁 運用記 2000年 9月  NB6A / KH4 後藤 雄



4/20   18:30  
ミッドウェイ環礁サンド島に無事着く。
空港ビルといえるかわからない格納庫?のゲートでインターネットで見た白ヒゲのTed NH6YKを見つける。現地局NH6D Billさんとみんなで  硬い握手をして記念撮影を撮った。6mでNH6YKとのQSOを約束して、送迎バス(色は違うが、スクールバスだ!)で、ホテルと言う名の旧海軍官舎に向かう。
さっそく簡単なオリエンテーションされ、明日8時に朝食をクリッパーハウスでいっしょの飛行機で来た日本人とするようだ。
         20:00  







格納庫(空港ビル)の2階のシャックにクルマで送ってもらい入室。
インターネットで、見たとおりの広い無線室だ。18畳くらいかな。
4日前から本日まで、先生として、時々来島するNH6YK Tedが6mのANTを上げておくということだったが、上がってなく!!、初日からの6mビーコンの計画が狂う。
好意で、シャックを開放して頂いていている以上、無理を言えないが、JA始め、各国の6mマンが、期待していること言って、好意で明日朝、マスプロ製5エレ八木を上げてくれるという。 (ヤッター!)無理な事を言いましたが6m命なんです
     20:49  
21.150や他のバンドのIBPをチェックするが、JA2IGYが聞こえるが今ひとつ強くない。
     21:00  


CQを21.023MHzで、発射しNB6A/KH4をスタート さっそく21:01のJF1QBNを皮切りにパイルアップを浴びる。良い調子だ。
ヨーロッパもわずか3局だが出来た。(21MHz約80局交信)ヨーロッパからのドパイルが来ない。きっとお互い弱いんだろうな。
     22:16  
7MHzにQSY JAのSSBが国内で聞くのと同じくらいによく聞こえるが、CWから始める。(CW290局と調子良く続く)
     02:00  
  三宅さんは、CONDXが悪く、あきらめてホテルに戻る。
     02:55  
7MHz SSBに変えてみる。JAのQSOの隙間がなく、わずかな隙間でCQを出して始めるが、JAのラグチューで取り難いというアドバイスで、空いている周波数を教えてもらい5KHz QSY UP。(SSBは約90局)
     04:01  
午前4時を回り,日本時間を考えると午前0時になったところで、明日もあるので、今日は終了とする。
格納庫からホテルに戻るのに、道に迷い30分以上かかる。
でも満天の星空の中、月明かりが明るかった。本当は自転車で7分の距離程度だった
     05:00  
就寝
21日  07:45  
起床 さっそく顔を洗い眠気を取る。三宅さんも起きていた。
     08:00  
クリッパーハウスで、朝食 スクランブルエッグとパンとコーヒーだ。
何杯も途中でコーヒーをついでくれるお姉さんに、参った。
     09:00  




ミッドウェイ環礁来島のルールであるオリエンテーションを受講する。
レンジャーのお姉さんだと英語なので、日本人観光客8人相手に、日本人スタッフの田畑さんが行った。
ミッドウエイ環礁の歴史(環礁の出来るプロセスから始まり、野生動物の接し方まで、長かったな〜。)
     10:40  




時間が中途半端になって、しまい、一旦ホテルに帰り、シャワーを浴びてさっぱりする。
大食堂(ギャリー)に早めに行って、 昼食を済ませて昼から存分に運用する事にする。計画では、昨夜からでなく、今日の昼から運用開始と各DX情報HPにアナウンスしてあったからである。
     11:25  






売店でビール6本買って、大食堂に行き、昼食にありつく。
インターネットで、情報をもらったとおり、いろいろな料理が並んでいるビュッフェスタイルで、しっかり食べておく。食堂でMikeさんに会い6mの5ELE八木をセットしてくれた事を、教えてもらい、「セットするのを手伝います」と言っておいて、オリエンテーション受講で手伝わず、お詫びとお礼を言っておいた。
ありがとう Mikeさん。これで、6mに出れる!
     12:30  
















運用開始 時差は20時間、朝8時30分が、日本時間だ。
さっそく6mのANTのSWRを見るとバッチリである。
日本向けになっているか、空港ビル?(格納庫)の事務室に行き、屋上に無線アンテナの点検に為、上がる許可をもらい上がってみた。フラットな屋上に、業務各種ANTに混ざってForce12 C3Sが上がっていた。屋根は老朽化して危険なので、我々が持参するはずのANTは設置が断られたのだが、本当にスノコが敷いてある以外は気をつけないと事故に繋がりそうだった。慎重に6mマスプロ5エレ八木まで行った。
太いパイプに無造作に5ELE八木のパイプが刺してあり、水平でないが大した問題ではない。JA向けにロープで固定した。
しかし、予想に反し6mのパスが開かない。
せめてJR6やVR2あたりは出来ると予想していたが...ビーコン出しながら局数稼ぎに13時過ぎから28MHzのCWとSSBに出る。
そう、私は10mも好きですし、KH4の10mって要求があるんです。
SSBとCW合わせて3時間で120局、イマイチ延びない。
呼んでくるJA局が6mをしきりに尋ねる。「こっちは10秒おきにCQを出してますー」
夕方まで運用して、三宅さんと、あきらめ少し島内観光しながら、夕食後少し仮眠を取って夜に備えることにした。
           21:00  
























無線室に行くまでの、道のりで頭上の満天の星に感動しながら向かう。地平線まで星空である。もうこの時間は、空港ビルはほとんど誰もいないような感じである。
さっそく、14MHz CW,そしてSSBをやっている最中に、6mのビーコンにコールして来た局がいた。急いで6m機に向かうとVK4BLKである。
0854Z CWで、QSOした後、すぐさまこちらからSSBで呼ぶことにする。
日本からでは、良くQSO出来るVK4でさえ、ミッドウェイからの6m運用の1st QSOでは感激である!!TNX Ray OM.
そのあとも、VK4ZJRやVK4FNQと6mではQSO成功した。
とりあえず、6mでQSOが出来た事に安堵する。これでJAとパスが開かなくてもビーコンを出して6mバンドでQSOしたことが立証できる。
14MHzで150局程度出来たところで、7MHz CWに移る。これは単純に14MHzの状態が悪いからである。でも70局程度で、またしてもダメ。
いよいよ80mに降りることにした。3.5MHz CWではWからパイルを受けた。これは調子良いと思ったが、意外に早くパイルアップが収まってしまった。残念なことに、この無線室にあったTS-440Sを借用して、HFは2日目から運用したのだが、いかんせんCWフィルターの入っていないリグで聞くCWのパイルアップは、大変である。そのうち持参したパドルまでが接点不良になって、符合がうまく打てなくなり、訂正符号の連発である。とうとうWの局からLIDと打たれてしまった!!
しかたなく、75m SSBに移行するとJAが良く聞こえる。日本からは、短期間しか75mバンドを運用した経験が無いが、WからのSSBパイルは感激である。
午前3時半頃からは、80m CWでJAのパイルアップが起こってきた。
いやー、寝る間を惜しんで運用している甲斐があった。
結局この晩は、4時半まで運用して、ホテルに戻る。
あれ、三宅さんいつホテルに戻りましたっけ?2時?3時?
22日        朝  







今朝は、無人島のイースタン島観光を予定しており、7時起床で睡眠時間が2時間しかなかった。8時からの探検ツアーに急いで朝食を、ギャリーで取る。
イースタン島は、海軍の上陸船で行く。イースタン島は、第2時世界大戦時の軍事基地があったところだ。
今ではすっかり鳥の楽園となっている。3時間程度のツアーであったが、プラスチックごみや、魚網が、生動物の生態系に影響していることを知る。
コアホウドリの死骸の胃袋には、ボトルのフタや使い捨てライターが入っていた。
           11:00  
 







観光ツアーの足で、そのまま無線室に行き11時から運用を開始する。
今日は日本時間の23日土曜日の朝7時すぎである。さっそく10m SSBから運用する。1時間で130局をログインできた。良い調子だ。
24MHz CWを30局程度やって、局数稼ぎに21MHz SSBにQSY。
3時間で400局ぐらい出来た。
ちょうどパイルの中、無線室にW7から来たハムが来訪する。
一息つきたいところだったので,マイクを渡して、2時間ほど1人で自転車で島内観光することにした。そう無線室の独占権はないので、お互い譲りあって運用をしなければいけないのだ。手を休めて、アイボールQSOもしました。
           18:00  










夕食後、再び無線室に行き14MHz CWから始める。この日は、今までになくコンディションが悪い、聞こえないのである。14MHz SSBや7、18MHzを運用するが今一つ強くない。しかし今夜も6mビーコンにV73ATやVK4BLKが呼んできた。
ペディションのT30JHも呼んできた。また50.110MHzでA35ANがJAからパイルを受けているが、肝心のJAが聞こえないし、JAの壁でこちらから呼んだがピックアップしてくれない。その後再び6mビーコンを出し始めたらP29KFSが呼んできてくれた。
とりあえず6mでは4エンテテイーとQSO出来たことになる。
結局、コンディションが悪いのと、2日間の寝不足もあり、今晩は24時で寝ることにした。
明日朝(日本時間の24日日曜日午前)のコンディションに期待して、休息を取った。
三宅さんは朝4時まで頑張って局数を伸ばしたそうだ。
23日        朝  







23日朝06:30起床、いよいよ最終日である。
朝食を済ませ、さっそく7時20分から運用開始する。三宅さんはまだ寝ている様だがお互い、自分の運用スタイルで過ごした。
18,14,21,28MHzの順でQSYし、主に10m SSBに主力をおいて運用する。
午後2時、一旦これで閉める。6mのビーコン発射を停止する。
とうとう6mでJAは開けなかった。JR6やVR2あたりはQSO出来ると考えていたのだが、コンディションにはかなわない。自分の持って来た資機材をスーツケースにしまう。最低目標の2000局も行かなかった。残念である。
     14:00  





ホテルに戻り、チェックアウトを済ませ、荷物を空港ビルに運んでもらう。
あれまだ時間がある。フライトまで4時間以上ある。それならもう少しと欲を出して、21MHz SSBを運用すると、JAが強い、パイルを浴びる。
目標の2000局をオーバーした。
最終的に、0403Z JE3KXHとのQSOで、今回のKH4運用を終了した。
延べ2170局であった。


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