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パラオ良いところ、一度はおいで






西原 辰雄 T88TN JA0QBY

1.パラオは何処だ?

1998年12月、太平洋の南の島、パラオ共和国からついに念願の海外運用を実現することができました。運用を計画しはじめたころは「パラオって何処だ?」って位に無知な私ではありましたが、良き指導者に恵まれ何とか日本を飛び立つことができました。
旅の準備は一緒にペディションに行く相棒の三宅氏(JF1OCQ)にすっかりおんぶにだっこしてしまい、未だに申し分けなく思っています。いろいろの障害を何とかクリアして、さあおじさん2人の珍道中の始まりです。

成田空港を出発後グアムにひとっ飛び。5時間近くも乗り換えのためにグアムの空港で待ったあと、やっとパラオに飛ぶことができました。そのグアムの待合室には「うどん屋」とかファーストフード店が数件あるだけで他には時間をつぶすものが無く、待ち時間がとても長く感じられました。搭乗時間が来て、パラオへの飛行機に乗れた時にはすでに疲れてはててしまっていました。

離陸後しばらくは飛行機の窓からグアムの夜景を楽しむことができました。空から見るグアムは全島ナトリウム灯に照らされているかのように、オレンジ色に輝いていました。一方、飛行機の中はパラオの人々と日本人が半々くらいで5割程度の搭乗のようでした。席はすいているのにイスの前後の間隔がちょっと狭かったので、私にはとても窮屈に感じました。(コンチさんもっと広くしてください。)

2時間ほどのフライトはあっという間に過ぎて、機は着陸態勢に入りました。上空から見るパラオはとても美しく見え…るはずだったのですが、到着は深夜のため真っ暗で島影すら確認できませんでした。入国手続きの後、ホテルのピックアップの車に揺られながらジャングルの中かと(失礼)思うような道をガタゴトとゆっくり首都コロールへ向かって行きました。

今回お世話になったのは、かの有名なVIPゲストホテルで、チェックインとともに小生と三宅氏の2人はパイルをさばく夢を見ながら爆睡モードにはいりました。



VIP Hotel全景、写真左上にMr. Georgeのアンテナが見える

2.オンエア開始!

翌朝、ホテルスタッフのボンさんにつれられ、アンテナ建設のためにホテルの屋上に上がりました。屋上へはホテルオーナーのジョージさんのシャックを通って階段をあがります。その屋上への階段にはアンテナ、同軸ケーブルなどが置いてありました。



さぁ!やるぞぉ〜 と私(T88TN)

屋上のペントハウス脇にはジョージさんのHF八木があり、その奥にはかつてパラオで活躍された瀬沼、長谷部OMの残されたTA-33Jrがそのままの姿で立っておりました。同軸ケーブルもついており私どもが滞在した304号室(?だったと思う)にちょうど届く長さでとてもFBでした。
この3エレ八木は、両OMには使用許可を得ていましたのでこれをメインに使わせて頂きました。そのほかに、私どもの持ち込んだR7000と、6m4エレを上げて、早速オンエア開始です。



ホテルのスタッフ(Bonh)とJF1OCQが6mのアンテナ組立中

当局のFirst everは、12月19日0150(UTC)24MHzSSBでのJI8PDC局でした。その後は怒濤のパイルになりJA各局が本当に束になって呼んで来ました。パラオで聞くJA各局の信号はホントに強力で、そのパイルの厚さも想像を絶するものでした。0819Zまでの6時間半の1回のオンエアで約600局とQSOできました。

以前から年に数回パラオからの運用はありましたが、まだ需要を満たしていなかったのでしょう。とにかくパイルがすごかった……。



ワールドトレードセンター(WTCT)前の、パラオ唯一の交通信号機(当時)

一区切りついたので夕食のためホテルの外に出ました。「富士レストラン」というホテルの近くにあるレストランに入り、「Red rooster(赤い風見鶏の意)」なる地ビール(?)でペディションの成功を祈って乾杯しました。ここでの食事については後で詳しく書きますが、非常に満足できるものでした。

食事の後、今度は14MHz SSBで運用しましたが、呼ぶ局も少なくなったので当局はQRTし、T88HM(三宅氏)にオペレートを変わりました。彼は、夜間の7MHz CWを主体に運用し全世界のパイルを浴びてご満悦でした。ただ、赤道付近はノイズが高いとは聞いていましたが、ローバンドは特にひどくDXの信号をピックアップするのに苦労しているようでした。しかし、JA各局は距離が近いこともあり、7MHzでも何ら問題なく聞こえてきていました。

 3.2日目以降の運用

2日目の朝は28MHzが良くて、先の3エレ八木を使用し、北米を中心にコンタクトしました。ここでも、Wが束になって呼んで来て、一時はかなりのパイルになってしまいました。

北米の後はJA各局がオープンし、大サービスとなりました。JA0DCQ長谷部さんともこの28MHZでQSOできたのでとてもFBでした。この日も、他バンドにも声を出しながら無線三昧で終わりました。

その後外に出たのは食事と買い出しに行った時だけでした。その様子を見てホテルのフロントマンには、「パラオに来て海に行かない君らはクレージーだ。君らはハムだけか?」ってからかわれてしまいました。海岸に出れば確かにとてもきれいな海が楽しめたようですが、私どもには無線の方が魅力的なだけだったのです。(笑)



日本人墓地にて 英霊に対して敬礼!



これ何だったかな?

次回訪れる時には是非海に出てみたいと思います。また、他の観光もしてみたいと思います。しかし、行けばまた無線三昧だったりして…

今回のペディションはちょうどコンディションが一時的に落ちた時に行ってしまったみたいで、北米、アジア圏はそれなりなのですが、ヨーロッパがSSBで聞こえてきませんでした。それでも最終日である23日の撤収ギリギリまで運用しようということで、最後の頑張りとばかりにオンエアしていましたら、QRTの数時間前に14MHZSSBでついにヨーロッパがオープンしました。イタリア各局のQSOの後にブレークを掛けましたら、QSO相手もT88ってどこだって感じで最初はピンと来ていないような反応でした。そのうち太平洋のパラオ共和国からの電波だと気づくともう彼はもう大興奮でした。私もやっとヨーロッパとQSOできたので、ホッと安心できました。

ファイナルを送りスタンバイするとロングパスでのヨーロッパがガンガンと呼んで来ます。「これは、いける。」と思いながらパイルをさばいていました。しかし、帰国のためにボチボチQRTしなくてはならなかったので、時間を気にしながらの運用となりました。

スタンバイするたびにパイルが大きくなり、収集がつかなくなってしまいました。もうこうなると、手がつけられなくなるのが、ヨーロッパのパイルで、コールバックしようが、サフィックスを指定しようがお構いなしで自分のコールサインを連呼し続けていました。こちらは急いでいるのにQSO効率がどうしても落ちてしまいます。おしまいには「ジェントルメン、プリーズ・スタンバイ!」って怒鳴っている自分に気づいたときには思わず三宅氏と笑ってしまいました。オープンしているにも関わらず、飛行機に併せてアンテナを撤収する予定がありましたので、後ろ髪を引かれつつ12月22日0900Z過ぎにQRTしました。QRTした後もしばらく呼んでいる局がいたようですが、本当に飛行機に乗り遅れてしまいまっそうだったので、すぐにアンテナの撤収にかかりました。あたりはすでに暗くなっていましたので屋上での作業は慎重に行い、ホテルスタッフのボンさんの手助けもあって無事にアンテナを撤収できました。

このペディション中は、ホテルオーナーのジョージさんとは、ハワイの娘さんのところに行っているとのことで、残念ながらお会いすることができませんでした。しかし、ホテルスタッフのみなさんに良くしていただいたのでとても快適に過ごすことができました。(感謝!)

当局のペディションの成果はSSBのみの運用で約1600QSOになりました。始めての海外運用ということで不慣れなこともあったのですが、とても大きな満足感を得ることができました。残念なのは6mが全くオープンしなかったことです。時折CQを打ってはみるのですが、聞こえるのはノイズばかりで、ついに6mでのQSOはありませんでした。

また、熱帯特有のノイズにもずいぶんと悩まされました。ノイズ源と思える物は特に無いのですが、グラインダーで金属を削るようなすごいノイズが時折出ました。ペディション後の後かたづけもすまないうちに次の仕事であるQSLカードの発行が待っていました。QSLの発行は楽しみでもあり、苦しみでもあることがわかりました。やっとSASEを片付けると翌日にはまたドカっと届く始末です。

SASEが一段落するとビューロ経由でもQSLカードを送付し、一応カード発行の責任は果たすことができました。

3年経過した現在でもビューロ経由でのQSL請求が時折あります。QSLが届くたびにその時の様子が脳裏によみがえりまた行ってみたくなるのでした。

4.パラオ見聞録

パラオで私が感じたことを最後に書いておかなくてはなりません。

その1−食事について

これは同行の三宅氏(T88HM)も小生も大満足でした。アメリカの信託統治国としての期間が長かったこともあり、食事のほとんどはアメリカ式だと思います。ただ、日本人の経営する食堂も多く、その中でも私どものお気に入りはホテル近くの「海鮮料理 富士 Tel488−2774」です。ここのメニューはもう日本そのものでした。かつてこんな食堂があったよなあって感じのおじさん好みのお店です。しょうゆラーメン、カツ丼、餃子、etcどれを取ってみても日本の変な食堂よりよっぽど美味しかったと思います。カツ丼、餃子はもうお気に入りで毎日1回は必ずどちらかを食べておりました。現地の料理といえば、「カンクン炒め」と、地ビールの「レッドルースター」がありました。カンクン炒めは芹に似た野菜を塩こしょうで炒めた物なのですがこれがレッドルースターに良くあいました。毎度、レッドルースターを飲み、美味しい日本食を食べもうパラオなら暮らしてゆけそうだと本当に思いました。地ビールのRed roosterは、軽い味のビールで、パイナップルのエキスが少し混ざっているような感じのビールでした。これも、思えばずいぶん飲んじゃったなあ……。

 あとこの富士でのもう一つビックリしたのは、日本酒が豊富に置いてあることです。晩酌セットなる物もあり、2合トックリにおちょこ、天ぷらがセットになった物です。これをスーパーマリオみたいなマドロス風のおじさんが天ぷらをつまみにおちょこで一杯…。そのアンバランスな画に思わず吹き出してしまいました。また、隣の席では金髪のおねーさんが天ぷらをつまんで食べておりましたし、とにかく各国の文化が混ざってさらにその特徴だけが強調された様な何ともいえない雰囲気でありました。

スーパーマーケットに行けば、オレンジジュース、冷凍牛肉などは日本で買う値段の3分の1以下の値段でした。(安い!)これだけ見ればアメリカなのですが、納豆、亀田のお煎餅があったり、さらには牛乳パックみたいな豆腐も売っていて、ここでも食文化が入り乱れている感じでした。この不思議な感覚はもう行って見てもらうしかありません。

 その2テレビについて

また、TV局は無いはずなのですが、市内の住宅に時折TVアンテナらしき物が建っていました。「これは、いったい何なのだろう??」と結局最後までわかりませんでした。しかも同軸ケーブルがついていませんでし…。
パラオのTVは海底ケーブルでグアムから配信された物をCATVで大きなホテルの一部では見ることができるようでした。
VIPゲストホテルでは、
1チャンネルしか写りませんでした。それも、ローカルなダンスコンテストの映像のようでしたが、アナウンスは全くありませんでした。流れているBGMはド演歌なのです。それも名前を聞いたことのない歌手が歌っている演歌なのです。しばらく見ていましたが、「わけわからん」状態でした。無線ばかりしていたのでパラオのTVはどうなっているのか、実際のところはよくわかっていません。
ラジオ局もFM1局のみでした。ここでも流れているのは「演歌」なのです。南の島のイメージと北の国の演歌ではやっぱりあわないのですよ!
でも、ピックアップのおじさんは何も感じていないようなのでこれが当たり前になっているのかなあ??と、またまた不思議な体験をしました。 Hi

この海外運用を実現するにあたりJH1JHN瀬沼さん、JA0DCQ長谷部さん、海さんには多大なご協力とご助言を頂きました。また、同行していただいたJF1OCQ三宅さんには本当に御世話になりました。

各局本当にありがとうございました。

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