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V73X  マーシャル諸島


第4日目 (7月7日)

滞在も残りわずかなのに、思った様にコンディションが改善せず、QSOの局数は伸び悩んでいます。
週末ですから、本当なら大きなパイルアップが待っているはずだったのですが、これは堀越さんも私同様で、QSO実数は当初の予定の半分くらいと踏んでいました。
まぁ、いくら頑張ってみても、コンディションが改善しなければ、局数は伸びる訳がないので、ここでじたばたしても始まらないですからね。
そうだ、ここは気分を変えて楽しもう!
私はそう考えました。

夏はコンディションが底を打つと分かっていても、やっぱり出かけるにはこの時期が好ましいのは云うまでもありません。
コンディションが低調で、思った様なQSOができずに申し訳ないけれど、ここはペディション初挑戦の堀越さんにフォローをお願いして、私はホテルで貰った簡単な地図を頼りに、例の乗合タクシーを捕まえ、島の政治の中心部へ向かいました。
最初は、道をてくてく歩き出したのですが、午後の最も暑い盛りで、地元の人々すら歩く姿がまばらな道を、このまま歩き通す自信もなかったので、思い直してタクシーを捕まえます。



この空の青の深さが伝わるだろうか




アウトリガーホテル


マジュロのもうひとつの大きなホテル、アウトリガーまでタクシーで行き、そのホテルの中を探検しました。
ホテル自体は我々のホテルよりもきれいですが、ハムの運用を考えた時はちょっと問題があるかも知れません。
つまり、各部屋のベランダがアンテナの設営に向かないのです。
ひさしが大きく、日陰を作ってはくれますが、その分アンテナを突き出し難い構造になっています。
そんな事を考えながら、アウトリガーから戻る道すがら、政府庁舎やホームセンターなどを見て歩き、QSLに使えそうな場所の写真を撮りながら、再びタクシーに乗ってホテルまで帰り着きました。



政府ビル、南の島に似つかわしくない(失礼)

日曜の午後だと云うのに、21MHzも閑散として、いつものにぎわいが聞こえて来ません。
本当に残念ですが、こればかりは致し方ありません。
あとはその時の状況を見ながら楽しむしかないでしょう。

この日の夕方、ローカルであり先輩のJE1SYN池田さんとQSOした際に、やはりコンディションの話しになりました。
DX'erらしい池田さんの判断で、QSOした21MHzからすぐ上の24MHzにQSYして、更にその上の29MHzのFMでもQSOに成功。
結局、10mではこの1回が唯一のQSOとなりました。



2000頃だったか、木村さんがホテルにやって来て、珍しいものを下さいました。
マジュロに来てから、パンの実の話しになって、私が一度食べてみたいと云ったものだから、彼はわざわざ近所の人に頼んで焼いてもらったそうです。
食べてみた感想は、甘みのないサツマイモのようでした。
焦げた皮を一緒に食べてみると、パンと云うよりは石焼きイモの風情です。
その他に、カメの塩ゆで(?)の様なものをいただきましたが、これは正直美味しいものではありませんでした。
鶏肉のような、カエル肉のような....

 

パンの実を持った木村さん

第5日目 (7月8日)

この日はマジュロでの運用の最後の日になります。
しかし、相変わらず午前中は運用にならないので、木村さんと相談して午前中だけ私1人で釣りに行く事にしました。
場所は空港へつながる島の、つなぎ目の橋のたもとです。
通るたびに、ちょっと気になっていた場所です。
外洋に出る船がこの橋の下を通りますので、深さもある程度にあって魚の混じる場所に違いありません。
木村さんのご出勤前に、私をそこまで送っていただき、お昼どきに再び迎えに来ていただくと云う大名釣りです(笑)
しかも、再び餌釣りのための餌までご用意いただくと云う、格別待遇なのです。
こりゃ大きい獲物を得なけりゃ、申し訳ないなぁ〜

8時過ぎに木村さんがホテルにおいで下さり、今となっては慣れたゴルフ号に同乗して、目的地へ出発。
途中、中国人経営の雑貨屋(マジュロ風コンビニ?)で、朝食のパンと水を購入して準備万端整いました。
釣り場は、島と島をつなぐ橋のたもと、ホテルからは車で約15分くらのところです。
環礁のつなぎめに出来た橋ですが、長さはわずか20mほどの小さな橋です。
その橋のたもとに到着してびっくり!、橋の両側はゴミの集積場です。
まるで夢の島のようなゴミの山、異臭を放っているものの、橋の下は風下になるのか気になりません。
早速支度をして第一投....
澄んだ水の中に、色とりどりの魚が沢山泳いでいます。
出勤前の木村さんが、私の仕掛けですぐに釣り上げました。
彼もこのまま釣りをしたいような風情でしたが、残念ながら仕事の時間です。
またお昼に迎えに来ていただく約束で、彼は職場に向かって行きました。

今回、私の釣りは(いつもそうだけど)ルアーフィッシングが基本であります。
JI1NIQに仕込んでもらった道具を、はるばるここまで持ってきている以上、何とか釣り上げたいものです。
しばらく投げては引き、投げては引き、しているものの、一向に当たりがありません。
仕方なく外海側のサンゴの上に陣取って、全力でルアーを投げ続けます。
岸からすぐに、一段と深い青(群青と云っていい)の部分があるので、その波に向けてえいっと投げる....
比較的重いルアーを投げているけれど、場所によっては波に持ち上げられて思う場所に入りません。
何度かやっているうちに、思い描いたラインでルアーが潮目に吸い込まれて行きます。
「1. 2 . 3. 4 ......」と数えて竿を立てた瞬間、「どん」と音を立てたように思えるほど、新品の竿がぐーっと引き込まれます。
「やったぁ!」ついに来た!
そして悲劇(?)が起きました。
よせばいいのに、一歩前に歩を進めた瞬間、つるっと滑って私は海の中へ落ちてしまいました。
幸い半身のみびしょぬれになりましたが、それよりも右足に激痛が走っているのです。
水から上がって痛みの場所を見てみると、右足のかかとから、かなりの出血が見えています。
皮がめくれあがり、何だか骨まで見えているのです。
こりゃいけないと思い、すぐに救急キットから清浄綿を取り出し止血を試みました。
助かったのは、場所がかかとだったのでこの程度で済みましたが、一歩間違えて太股あたりを切っていれば、こんな程度では済まなかったと思います。
たっぷりの抗生物質を塗り、大判のBand aidを何枚も貼って止血を試みました。
とりあえず釣りをしている場合ではないので(当たり前か)、木村さんに来ていただくまでの2時間を待つことにしました。
歩く事に痛みはあるのですが、何とか歩けます。
止血も完璧ではないけれど、今は仕方ありません。
ホテルに戻ってからの対応を考えながら、橋の下の日の当たらない場所でじっと海を見ていました。
肝心の竿は穂先が折れ、魚のかかったラインは既に切れていました。

木村さんが予定より早く来て下さったので、事情を話してスーパーマーケットに送っていただきました。
医者に行ったら?と云って下さいましたが、この程度であれば、止血は出来るし感染症を抑えるための準備はして来ているので、しばらく様子を見る事にしました。
野外で遊ぶ場合の心得は普段から持っていたので、まさにこの場合に役に立ちました。

この後、木村さんをお誘いして、堀越さんと共にお昼をご一緒しました。
本当は我々にとっての最後の日、心ばかりのお礼の夕食をご一緒したかったのですが、木村さんのご都合でランチでの会食となりました。
彼のお薦めの台湾料理の店に行き、私は久しぶりにワンタンスープと餃子を食べました。
初めてのマジュロが、彼のおかげで楽しい思い出の町になったのは本当に幸いでした。この思いは、堀越さんも同じで、2人でこの事はよく話し合いました。
出発前に、堀越さんが木村さんにお会いしていなければ、もう少し事情は変わったかもしれませんね。
いずれにしても、木村さんには心から感謝しています。
初めて会う者同志でも、ハムと云う合い言葉に支えられて、本当に良い思い出を作らせていただきました。

木村さんはお仕事に、我々は最後の運用にと、この日の午後を費やす事に致しました。
いつも思う事だけど、あっと云う間の滞在期間を送り、この土地でやり残した事を思い返してみます。
いつの日か、再びここでそのやり残した事を、やり残した事でなくせるだろうか?
旅の終わりは、いつもこんな思いで暮れて行くものなのでしょうね。
私にとっての最大の心残りは、何と云ってもJN1BPM鈴木さんとの約束を果たせなかった事です。
彼は私のマジュロ行きが決まった後、衛星通信に関する懇切丁寧なアドバイスを下さいました。彼自身の環境も、決してRS-13衛星に沿ったものでなかったはずなのに、私のスケジュールに合わせて、準備をしていてくれました。
その彼とQSOができなかったのは、本当に残念です。
特に、その原因が私のオペレーションの未熟さにあるのですから、何をかいわんやです。
その彼のためにも、そしてその他の待ちわびていただいた方々のためにも、もう一度マーシャルへ渡らなければならないと思っています。

堀越さんが頑張ってくれました。
コンディションが今ひとつなのに、バンドをこまめにワッチして、パスのありそうなところを丹念にサービスして廻りました。
返す返すも、ベストな状態で堀越さんに運用していただきたかったです。
それも心残りのひとつです。
しかし、V73AAと云う、誰もがうらやむコールサインを手に入れた以上、堀越さんはこれから何度もこの島を訪れてくれる事でしょう。

7月9日、午前0時を持ってすべての運用を終え、アンテナやリグの撤収を始めました。我々は、あと数時間でこの島を離れなければなりません。

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