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V73X  マーシャル諸島


第6日目 (7月9日)

すべての荷物をまとめて出発の時を待ちました。
来る時にグアムからご一緒した、小林ご夫妻にもご挨拶をして、お互いの旅の無事と、またどこかでお目にかかる約束をさせていただきました。



ダイビングに来られていた、札幌の小林ご夫妻
気さくなとっても素敵なご夫婦でした。
またどこかでお会いしましょう。


8時過ぎに、夫妻の見送りを受けて、来た時と同じオンボロバスに乗り込みました。この日の出発客は、私達の他に1名だけでした。
空はどんよりとして、雨がぱらつく日でしたが、あまり気にもしませんでした。
もちろん、青い空が似合うには違いないものの、来る時からずっと天気には恵まれずにいましたから、これもその延長と考えておりました。
しかし、これはこのあとすぐに、まったく想像しなかった事態になるのですが、もちろんこの時点では知るよしもありません。

空港に到着、チェックインカウンターに向かうと、これまた沢山の人でごった返しています。
またしても、我々の前に、大量の荷物を持ったフィリピンの皆さんが並んでいるのですから、正直なところ「あちゃ〜」と思いました。
多分、木村さんも見送りに来て下さるはずだし、いろいろ最後にお礼やら何やらお話がしたかったので、早くチェックインを終えておきたかったです。
そうこうしている内に、その木村さんが現れました。
手には私のために、お手製のマジュロの地図を持って。
それに、修理預かりだと云って、オンボロのヤエス製の業務用無線機を抱えておりました。
本当に、どこまでも忙しい方です。





こんな機械が現役なんです。
木村さんのご苦労が偲ばれます。



木村さんが撮って下さった1枚
チェックイン直前の姿

木村さんとはいくらも話さないうちに、我々のチェックインの順番が廻って来ました。
トランクを開けられ、ひとつひとつ細かくチェックされます。
それ自体は慣れっこだけど、ぎゅうぎゅうに詰め込んだカバンの後始末を考えると、少々憂鬱になります。
「そのカバンも見せて下さい」
「はい」
「これは預けますか?」
「いえ、これはキャリーオンです」
「分かりました」
...と云いながら、コンチの職員は私のボストンバック(TS-690とFT-100、それにノートPCが入っている)を取り上げて、とっととカウンターの奥へ持っていってしまうじゃありませんか。
「あっあっ...」
これには少々驚きました。
問いただすと「出国してから受け取って下さい」との事。
あの中には大事なものが入っているのに....気が気ではありません。
仕方なく、ろくに木村さんとのお別れもできないまま、出国するはめになりました。
「木村さん、本当にお世話になりました」
忙しなくお別れになります。

まともにお礼も云えなかったけど、ご親切は忘れません。
また近い内に、きっとマジュロに来ます。
その時は、一緒にまた釣りに行きましょう。



出国カウンター

搭乗待合室は、屋根がついただけの小さな部屋でした。
ちょうど我々の前に荷物検査を受けていたインド系の青年がいたので、少し話しをしました。
「仕事ですか?」
「いえ、旅行です」
「そうですか、こらからどこへ?」
「香港です。夏休みなのであちこちを旅しています」
「それは素晴らしいですね。」
「あなた達は日本人ですか?」
「はいそうですよ」
この後、雑談したところでは、彼はイギリス人で、まだ大学生だと云う事でした。
見るからに品の良さそうな顔つきなので、妙に納得しました。
頭良さそぉ〜って感じ(笑)

再び雨が降り始めた頃、突然轟音を発しながらジェット機が降りてきました。
ハワイから来たアイランドホッパーです。
我々は、小雨の中をタラップに向けて歩きます。
これでいよいよマジュロとも、本当にお別れです。
来た時と同じ程度の混み具合の機内に入ると、ミクロネシア系の女性が我々の席に座っています。
念のため私が自分のチケットを確かめていると、彼女が話しかけて来ました。
「ここですか?」
「そうです」
ミクロネシア女性に多い、背の低い、太った方でした。
おまけに生後3ヶ月くらいの赤ちゃんを抱いています。
子供を抱き上げ、移動するだけでも大変な作業で、隣にいても楽ではありません。
席が空いている限り、子供をそこに寝かしていたいのでしょう。

窓際から堀越さん、私、そして子連れの彼女の順番で座るのですが、正直かなりの狭さです。
飛行機は我々を乗せて飛び上がりました。

しばらくして、隣に座った女性が話しかけて来ました。
「あなた方は日本人?」
「そうですよ」
「私の主人は日本人なんですよ」
えっ???...そうなんだ...
彼女はチュークに住んでいて、何と10人の子持ちだと云うではないですか。
「私のハズは、モリサブロウ(森三郎?)と云います」
ここでまたまたびっくり!
チューク(トラック環礁)で森一族と云えば、戦前に南洋庁が置かれていた時代に、南洋貿易で財を成した一家のはずです。
もっと云うと、我々の祖父・父の時代に人気があった「冒険ダン吉」のモデルが森某だったはずです....
一瞬のうちに、これらの事が脳裏をよぎり、ん〜と唸っていると、彼女が続けてこう云いました。
「この子の名前は、フォレストと云います。分かりますか?」
「もちろん分かりますよ。森でしょ?」
「そうです(にこっ)、この子の日本名は、森七郎と云います」



森七郎君と母上
彼の兄弟はあと9人いるそうです。

彼女は、7人の男の子と3人の女の子の母だったのです。
日本には行った事がないけど、子供達に祖先の名残を伝えるために、それぞれに日本名をつけているらしいのです。
失礼ながら、ミクロネシアの女性は年齢がよく分かりません。
彼女も10人の母なのだから、それなりと思いたいのですが、実は案外に若いのかも知れません。
それにしても、彼女を横で見ていて、本当に子供をかわいがる姿は、何にも増してほほえましいものです。
一番上の子供は、既に20歳になっているそうですが...
狭い機内で、生後3ヶ月の七郎君を抱いて、周りに盛んに気を遣いながらの旅は、母子共に大変な事だろうと推察しました。
何でも、七郎君は皮膚病だそうで、ハワイの病院にかかっていたそうです。

実は、私の席は、フォレスト君(七郎君)が寝ていた時に、どうも思いっきりお漏らしをしたようで(笑)、気付かず座った私のズボンがそれを吸い取ってしまったけど、それも気になりませんでした。
堀越さんも、この話をしたら笑っていましたが、どうしようもないですものね(笑)
ウソの様なホントの話し。

チュークでこの親子は降りて行きました。
天気は悪く、雲の上に出ない限り太陽を見る事は出来ません。
グアムに向かって飛行を続けている時、突然アテンダントのアナウンスが入りました。
早口の英語でよく分からないのですが、台風の影響で明日のグアム発のフライトは、朝9時にならないと出発できるかどうか分からない...と云う主旨の事を云ったのです。
「え〜っ」
まったく予想もしなかった事態に、びっくりしました。

アイランドホッパーは、無事にグアム空港に降りたって、再び地上の人となる事が出来ました。
出迎えに来てくれた旅行会社の人に尋ねたところ、5日(我々が出発した後)に大きな台風が来襲して、グアム島の電気や電話に大きな損害を与えたそうです。
おまけに、明日再び別の台風が接近するそうで、我々の飛行機が飛ぶかどうかは明日になってみないと分からない、と云う説明でした。
つまり飛行機の中で聞いたのと同じ内容です。
とにかく、ホテルで待機して、明日の朝確認して下さい、との事でした。
行きに泊まった同じホテル(グアムプラザホテル)にチェックインして、早速テレビの天気予報を見ると、大きな渦状の雲がグアムサイパンを目指しているのが分かります。
「そうか、グアムまでの途中で見た大きな雲は、この台風の雲だったんだ」
さっき、飛行機の窓から見えた厚い大きな雲の事を思い出していました。

風も出てきて、パラパラと雨も降るのですが、台風接近の緊張感はまったくありません。
ホテルの入り口には台風の接近に伴い、「Condition One(外出禁止)」が発令されている事を知らせる張り紙がありましたが、英語だったせいか気にとめる日本人は少ない様です。
我々も早々に食事を済ませ、部屋で待機する事になりました。
自宅や部下に国際電話をかけ、事態を説明するなど面倒な事が起きました。
ちょうど日本も台風6号(?)に襲われている時で、こちらの事もそうですが、日本そのものを我々は心配していました。

そうそう、云い忘れていましたが、この日は私の誕生日だったのです。

7月10日

やはり熟睡はできませんでした。
朝、9時前にホテル内の旅行会社に確認に行くと、やはり全便キャンセルになったとの事。
あぁ、これで帰れなくなった....
がーん、仕事に影響が出るけど、どうしようもない。
日本に電話をして対応を頼むしかありませんでした。
この日は、堀越さんと2人、本を読んだり、テレビを見たりしながら、無為な1日を過ごすしかありませんでした。
明日こそ飛んで欲しい...そう願いながらうつらうつら、半覚醒の状態...
これはこれでラクチンなんですけれど...

7月11日

「ジーン」と云う音と共に電話が鳴りました。
「ah....Yes, Hello...ah, Miyake speaking...」
「こんな遅い時間にすいません。」
はっきりした日本語が話しかけてくれました。
「ミヤケさんの今日のフライトは、飛ぶ事になりました。集合時間に遅れないようにして下さい」
と丁寧な連絡がありました。
眠い目をこすりながら時間を見ると、午前1時半を廻っていました。
「堀越さん、日本に帰れるそうです」
「ありがとう...」

バスがピックアップに来る時間にホテルのロビーで待っていると、ほぼ定刻に係りの方がやって来ました。
何かと時間にルーズと云われる南の島で、こうして時間を守ってもらえると、すごく得したような気になってしまいます。
我々を乗せたバスは、ホテルを数件廻りながらグアム空港へと向かいました。
空港で無事チェックインを済ませ、後は搭乗を待つだけ....と思いきや、最後の難関がやって来ました。
去年のZL7の時もそうだったけど、最後にがつんとやられるんだよねぇ〜

それは搭乗ゲートでの事でした。
飛行機の目の前で、身ぐるみはがされるようなボディーチェックが、例外なく行われています。
カバンの中は、おみやげ品もチェック、化粧ポーチの中も、救急キットの中までも...もちらん我々のリグやパソコンは当然のようにいちいちチェックされるのです。
私は、足にけがをしていたので、靴が履けずに素足にサンダル履きでした。
それでもサンダルを脱がされ、火薬のチェック、ベルトのバックルまで見られて、体を何度も金属探知棒で調べられる始末。
自分の番が来るまでだって、40分くらい待たされているのに、自分の番が来ても10分くらい念入りにチェックされるのですからね。

やっとの思いで解放され、機上の人になった時は、安堵感と共に疲れがどっと湧いて来ました。
昨日の天気とはうってかわって、青空がのぞき始めた空に向かって、我々のコンチネンタルミクロネシア航空機、リゾートシャトルはまっすぐに上昇して行きました。
わずか3時間で、全く別の世界、すなわち日本へ降り立つのです。
帰ったら、寿司と蕎麦とみそ汁にご飯だぁ〜
私のDXバケーションは終わりました。


謝辞
今回の旅行にあたり、在マジュロ シニアボランティア 木村清和氏(JH1IQC)には格別のお世話になりました。
心から感謝の言葉を申し上げます。
また、誠意をもって手配関係を行ってくれた、クラブアイランダーの前倉女史にも、感謝を申し上げます。
そして、いつもわがままを許してくれる家族のみんなにも...(了)

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